みんな悩んでママになる*学童編
自然に癒された私の子ども時代(T市・Kさん)

 私が生まれ育ったのは山あいの小さな町です。家は商売(おフロ屋と牛乳屋)をしていましたので街中にありましたが、まわりには自然がいっぱいで、家庭菜園、土管のあるあき地、草むらがたくさんあり、子供の足でも5分も歩けば裏山に行けました。
 私は3人姉妹の末っ子で、母は仕事が忙しく、物心ついた頃から一人で本を読んだり、野原へ行ったり隣りの幼なじみと行き来したりして自由に過ごしていました。私は排せつの自立が遅く、物のはっきり言えない、人見知りの強い内気な泣き虫な子で、母には悩みの種だったようです。
 農家の大家族の長女(長子)として厳しいしつけを受け、気性の激しい母は、私を叱咤激励し、私はおそろしくてひたすら一言も出せずに泣いている…という、今考えても涙だらけの幼少時、悲惨な母子関係でした。「何故できないの」「どうしてこうしないの」「ちゃんと言ってごらん」何故かどうしてか私にはサッパリわからないのですが、要領が悪い私のやる事なす事が母の怒声の元となり、毎日泣いていた思い出ばかりです。
 母にすれば、ちっともいうことをきかないし、自分の事をちゃんとできない困った子であったようです。母の罵倒は大変激しく、私は深く傷つき自分にサッパリ自身が持てない、感情を押し殺して生きる無口・無表情な人間になっていきました。それでも、小学校低学年の頃までは、やはり母親、「お母さん」というものがかけがえのない存在であり、「とても好き」と「大嫌い」の2つのかけ離れた感情を持てあましていました。年がたち、自我が強くなるにつれ、母を強く拒否するようになり、ほとんど心を通わせることができませんでした。
 こう書くとかなり暗い前半生であったようです(実際そうなのです)が、まだ救いがあったのは、母が忙しく、時間的に大した構われずにすんだ、という点です。それでも、顔を合わせている間は泥沼でした。ただ、母の関心、攻撃が姉のいずれかに向いている間は平和でした。
 私の幸せは、家のまわりの草むらや花、山や川、犬や猫、友達との遊び、姉にみせてもらうマンガの本祖父の作っている畑の作物の中にありました
 30年(以上)前のこととて、車も少なく、近所の子供同志で、空地だろうと道端だろうと人の家の庭先だろうと、群になって遊びました。なわとび、ゴムとび、おにごっこ、けんけん、かくれんぼ、じんとり、石けり…。比較的一人でいるのが好きで大人しい子だった私ですが、やはり皆につられて1日中外にいたように思います。年齢は様々で、姉達にとっては年少の私はいつも足手まといの存在でしたが、たくさんいる子供達の中でそれなりに居場所があったようです。
 子供達の遊びの場に大人が介入することはありませんでした。又、特に遊びの形をとらなくても、一歩外に出れば、花を摘んだり、編んだり、草木の実をとったり、小川に入ったり、木に登ったり…と自然の中であきることがなく楽しい時を過ごせました。家の中でどんなにいやな事があっても、友だちの輪の中で、自然の中で、常に心が癒され、育まれていたのです。
 現代の子供たちは、ときに24時間、母の視線が注がれていますが、母親の負担の大きさもさることながら、子供の心にとっても大きな精神的重圧ではないでしょうか。
つづく

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