〜子どもが愛される北海道に〜

 したら、ちょべっと、けっぱるかい 中谷通恵
『北海道よ!』(北海道新聞社・北海道を考える21人委員会編・2000年11月発行)より


≪なまらゆるくない≫
子育て通信「心の基地になりたくて」というミニコミ誌を発行して8年になる。通信には、全道各地から、子育てや女性の生き方などについての熱い思いが届けられる。

『現在2ヶ月の子の育児の真っ只中。初めての子であり、近くに親・姉妹・親戚もなく、唯一頼れるはずの夫は帰宅が遅く休みもあったりなかったりであてにならない。自分1人で子どもの面倒を見ているような状態の中で、私は何度か泣いている子どもの頬を思いきりつねりたい衝動に駆られ、自分が恐ろしくなりました。おっぱいも飲ませオムツも取り替えたのに泣き止まない。どうして泣くのかわからず、ただおろおろしてこっちが泣きたくなり、ついにはイライラ、子どもが憎いとさえ思う。そんなことを思うなんて、自分の親にも打ち明けられず、《私は母親失格だ。産まなきゃ良かった》と後悔したり自分を責めたりしていました。そんな頃に前回の通信が届きました。かわいいはずの我が子に対し同じような思いを抱く母親がいるのだとわかったとたんに、気持ちが楽になりました。そして、他の子もよく泣くんだ、うちの子だけじゃないと思ったら子どもがかわいくなり、泣いているのもイヤでなくなりました。(赤ん坊は泣くのが仕事と頭では理解していたのですが、気持がそれと一致していなかった私です)』

『上の子が8ヶ月くらいのこと。いつものように布団に入り寝ましたが夜中にふと目がさめ涙が出てきました。さすがの夫も目がさめて寝ぼけた声で「どうしたの?」と聞いてきました。私が子育てが辛いという内容の事を言った時の事、(今でも忘れません、この一言)
「何が辛いんだ。こんなにかわいいのに」今にして思えば悪気のない言葉だったと思いますが、それから2時間私は夫にさまざまなことを訴えつづけ、その日の朝は寝不足の夫と何かすっきりしたような照れくさいような私でした。それ以来夫もかなり協力的になり、甘えすぎてしまう今日この頃です。』

2つの投稿には、現代社会で子育てする母親の多くが共感してくれると思う。社会の都市化・少子化・核家族化の傾向は、北海道でも顕著であり、21世紀に入ると益々進むと予想されている。
「もし、赤ん坊の泣き声がもっと激しく長時間に及んでいたら…」
「もし、夫が泣いている私を無視して背中を向けていたら…」子どもを邪険に扱ってしまうかもしれない不安を抱える母親は多い。誰もが、孤立感や不安感、競争の視点での子育てに陥りやすいのである。
現代社会では、母親個人の性格や能力に関係なく、子育ては、「なまら、ゆるくない」ものなのである。

≪そったらもん、ごんぼほりだべ≫
「乳幼児が愛される社会」とは、子どもの心に「人間っていいな。あったかいな。」という基本的信頼感を育む社会だと言われる。それには、子どもの世話の担い手(ここでは母親とする)が、心穏やかに安心して子どもと向き合える環境が必要である。母親が「ゆるくない」時は、誰かに助けてもらえる・支えてもらえる社会である。

『例えば、子どもが病気で入院するとして、一人っ子なら母親だけで間に合うかもしれませんが、兄弟がいたらまず無理だと思います。
私自身そのようなことがありました。夫にも協力してもらいたい…真っ先に思うのが本音です。しかしうちの場合それは無理なことでした。会社ではそんな理由では休みは取れても休んだ者に対しての評価が下がります。たまたまそういう会社なのかもしれませんが、今の段階では社会は「夫も子育てを!」なんて、本当に理解があるのでしょうか?』

ところが、この投稿でもわかるように現実は厳しい。「昔の母親は、家事も家業もこなし、おまけに大勢の子どもを育てた。こんな便利な世の中に、今の母親は何だ!」「そったらもん、ごんぼほりだべ。」という見方は強い。確かに、自分を省みてみると、現代の母親は未熟であると思う。待つこと(忍耐)、許すこと(共感)が、苦手である。子育ては、忍耐と共感の連続であるから、とても辛いこととなる。だが、母親を批判しても何も変わらないだろう。物質的に豊かな社会では、誰もが待つことや許すことが苦手なのだから。けれども、どんなに豊かさが進行しても、子どもの育ちはゆっくりとしたうねりのような形でしか進んでいかない。待ってもらって許してもらって(甘やかしと違う)、人を愛する人間になる。であるならば、現代人が苦手な忍耐や共感を母親も含めたくさんの人で担っていく覚悟としくみが必要ではないだろうか?

≪なんもなんも≫
私達の子どもや孫が親となる頃には、「子育て、しんどいっしょ?」という問いに「なんもなんも。おだったり、ごんぼほったりして、家の中わやな時もあるけど、めんこいよお。」と笑って言える北海道にしたい。そのために今できることを、3つ提案したいと思う。

@ 「育児サークル」の質を高める
10年ほど前から、母親の熱意で発足した「育児サークル」は、全道各地に存在する。サークルの良さは、たくさんの親子に直接会え、共感し合える事で安心し「自分もがんばろう」と思える所にある。子どもにも遊び仲間が出来、学校に上がってからも、競い合うのではなく助け合う視線がうまれやすい。これからは、子どもの心身の発達を学び合えるサークルや、親が大人として成長し合えるサークルづくりが、期待される。血縁や地縁が薄れたことを嘆くより、育児サークルの質を高めることで、新しい子育て文化を育んでいきたいものだ。

A父親の子育てを支援する
「子育て通信」には、父親の声も届く。

『子どもが乳幼児の頃は、仕事が一番忙しく競争も厳しく責任もある時期でした。残業残業の連続で家にはただ帰って寝るだけ、子どもの顔も見られないという日々。仕事のプレッシャーで精神的にも相当参っていることも度々でした。』

このような労働条件の中でも、自分の努力で真摯に子育てしている父親が増えている。
『家族との時間を大切にするということは、ある意味で自分自身の時間を減らすということである。自分の趣味も削る必要がある。でもそれは、大切なことであると思っている。』

『職場から帰宅し子どもの顔を見ると、最初の五分はかわいいのですが、30分ぐらい経つと「もー、いいわ」となります。これの繰り返しの自分を反省しています。子どもは自分のコピーのように思いがちですが、全く違う人間です。その1人の人間の人格の形成に自分が関われるのですから、嬉しさもあるし、半面中途半端なことは出来ないと自分を戒めることもあります。』

『子どもといるのはいつも楽しいです。子どもは笑いの天才だと思うし、びっくりすることが好きですよね。だからまた、怪獣になって追いかけたり、アイスクリームを山ほど買ってきたり。子どもとの関係の基本は、約束を守ることだと思う。』

このような父親の意欲を生かし、広めたい。そのためには、「女性も男性も働きながら子育てしやすい環境の整備」と「男性が子育てを学べる場の提供」が、急がれる。

B 「子育て支援」は、多様でありたい。
「ゆるくない」時に助けてもらいたい支援の内容は、受ける側の立場や状況により多岐にわたる。共働き家庭と専業で子育てしている家庭、子育てに関心が高い親とそうでない親、サークルなどに参加したい親としたくない親、などなど。つまり、誰を対象にしているかを見極めた多様な支援が求められている。しかしながら、財源の確保が難しい自治体に支援を期待するだけでは、「多様な支援策」など絵に描いた餅である。では、どうしたらよいだろうか。

≪したら、ちょべっと、けっぱるかい?≫
少し前まで当事者であった私達、ちょっと先輩の母親や父親が、今子育て真っ只中の親の支援者になりたいのである

『我が家は転勤族。全然知らない土地に辞令一つでとばされ、子どもも母もいつも振り回されています。また、新たに子育ての輪・母の友達をつくるまで、どれくらいかかるのかわかりません。突然、子どもが病気になったり母が倒れたりした時、どこに頼ればいいのかわかりません。「子育て支援」は、小さな子どもや働いている人達だけではなく、専業主婦にも支援してほしいと思うし、私も何らかの形で支援していきたいと思ってます。でも、どうしていいのかわからずにいます。家族だけじゃない子育てをどうつくっていったらいいのか、勉強していきたいです。』

『T町はとてものどかで、老人福祉のとても充実した町ですが、子育て支援に関してはかなり遅れています。引っ越してきてすぐに「育児サークル」を近所の奥さん達と作りました。中谷さんの子育て通信に影響されて、通信を発行しました。「子どもの一時預かりがあるといいね」という話も出て、協力してくれるおばさん達も見つかりましたが、どう進めていけば形になるやらわからず、現在足踏み状態です。良い方法を学んでいきたいと思いますので、よろしくお願いします。』

『これから子育てする父親には、仕事も大事であるが子どもの小さいうちはできるだけ家族との時間を持つようにアドバイスしたい。何でも言いやすい職場の雰囲気を作りたい。』

自分自身が子育て中、ゆるくないこともあったから、自分の出来ることをささやかでも行動に移したい、そのために学びたいと考える親達が、北海道のあちこちに存在するのである。

「したら、ちょべっと、けっぱるか?」

「我が子だけ良い子に」ではなく「みんなで楽しい子育てを」したくて、自分の出来ることを「けっぱってみようかな」という人が増えているのだと思う。小さな「けっぱり」をもっともっと育みたい。それらをつなげることで、孤立・不安・競争の子育てを乗り越えていけると思う。子どもが愛される北海道をつくるために、私が出来ること、あなたが出来ることは、きっとたくさんあるだろう。

トップページへ