基調講演                        2003年2月6日
個性は性を超えて
〜一人ひとりが活きる職場をつくる〜

玄田 有史


●去年、今年と、18都道府県で、おはなしをしてきました。
 2001年の7月に厚生労働省の中で「女性の活躍推進協議会」ができまして、私もそのメンバーになりました。男性も女性も関係なく、一人ひとりが活かされ、働き、生活できる社会を創るということを改めて考えていこうという会ができたわけです。そういう関係もあって、去年、今年と18都府県でお話をしてきて、また、いろいろなことを教えていただきました。今日は男女共同参画についての難しい理屈とか、こうすれば良いということではなく、私がいろいろな方々から聞いたお話をさせていただいて、皆さんが考えていただく時の何かのヒントになればと思ってお話しをさせていただきます。

●「ポジティブアクション」という言葉と多くの議論
 いろいろなことで「男女共同参画」ということを考えたのですが、「ポジティブアクション」という言葉があります。初めて聞く方、そうでない方もいらっしゃると思います。私自身も協議会のメンバーになるまではポジティブアクションという言葉を知りませんでした。協議会には実はたくさんの経営者の方が入っていらして、白老に近いところでは王子製紙の会長さんも入っていましたけれども、これからは男女関係なく活き活きと活躍できる環境を創っていかなければならないということで、やはり行動をおこしていこうという話し合いになったわけです。ただポジティブアクションという言葉を厚生労働省の方から教えられた時に、私も含め多くの経営者の方もその意味が分からなくて、一体これから何をしていけば良いのか分からなくて、本当に多くの議論をしました。
そんな時に「オムロン」、駅の自動改札などを造っている会社ですが、そこの立石会長がこんなことを言ったのです。2年前の株主総会の時に、ある初老の男性が手を上げて質問をしたそうです。「今回選ばれた取締役も、前回の方も、皆男性だが、21世紀を迎え、この会社(オムロン)が本当に大丈夫だと株主に説明できますか。何万人もが働く大企業の中には、優秀な男性もいれば、すごく仕事にやりがいを持って一生懸命仕事をしている女性もいる。オムロンが相手にするお客さんは男性もいれば女性もいて、若い方もいればお年寄りもいる。なのに相変わらず大きなことを決める時には何故か男性中心になっている。「本当に会社は大丈夫だと株主に説明できますか」こんな質問をしたそうです。そこで当時議長だった会長の弟さんが一生懸命説明されたそうなのですが、それを聞いていた立石会長は「説明になってない。男女共同を進めると口では言っているが、実は何も出来ていないじゃないか。これからは男女に関係なく意欲や能力のある人はどんどん働ける環境をつくっていかなければならない。実際に何か行動をするんだ」と強く思われたそうです。
それを聞いて私達はポジティブアクションってこういうものか。男性や女性が平等にあるべきだといった理屈や考え方ではなくて、これからは本当に一人ひとりが働ける職場を創っていかなければならない、実際に行動しなければならない。ポジティブアクションの「アクション」は行動という意味です。「ポジティブ」は積極的にですとか、前向きにといったことです。言葉とか理屈じゃなくて実際に行動しなければならないということです。そんなことをオムロンの会長から伺いました。

●いろいろな経営者や働いている方々にお話をききました。
 今日はそのようないろいろな方から聞いた話をご紹介したいと思います。つ印象的だったのは、これまで沢山の講演をさせてもらっていますが、最初はポジティブアクションや男女共同参画という話をしても、そんなに人は集まらないじゃないか、前向きに捉えてもらえないのではないかと思っていました。つまりは、昔から「男女平等」なんてずっと言っているが、そんなのは理屈であって実際には無理だ。男性と女性は違うのだから簡単にそんなことできるはずがないと言うような、ややあきらめムードの方が強いのかなと思っていました。しかし、実際に伺ってみると、うれしい驚きというか、会場ではものすごいエネルギーを感じる。やらなければいけないという雰囲気をいたるところで感じました。それは、男性と女性が平等であるべきだということだけではなくて、先ほどのオムロンの例もそうですけども、そろそろ何かやらないといけないという雰囲気がいろいろなところで、しかし、確実に広がっているということを非常に強く思ったのです。
何故そのように強く思うようになったのか。数年前から「雪印」という会社の人事担当の方とお付き合いがあって、昭和45〜46年くらいに実は会社が危ないという話があって、何故危ないかという話を伺いました。雪印という会社の社員の年齢構成は大体40代後半から50代以上がほとんどで、50代だけでも3〜4割もいて、そのほとんどが男性という非常に偏った構成になってしまっていた。もちろん中高年の方達も一生懸命仕事をされて、会社としてもそれなりの業績があったわけですが、偏った年齢構成による弊害が問題になってきた。例えば、中高年層が多いということは、当然それだけ経費(賃金)もかかる。若い社員が何か頑張って、上の立場になってやろうとしても、上がいっぱいいるために昇れない。結局やっても無駄だから若い人の意欲が低下してしまう。知識や技術を教えたくても教えられないなど深刻な問題があり、何とか解決しなければならないということで、年功賃金をやめて完全な成果制にしたり、いろいろやろうとしたが、結局うまくいかなかった。この問題もあと数年すれば中高年も定年を迎え、解決するだろうと考えられていた時に、不幸にも食中毒事件が発生してしまった。
雪印だけではなくて、今日本の会社は非常に厳しい。厳しいのは景気が悪く物が売れないということもあるのだけれども、実はさっきのオムロンのように、中高年の男性中心になっている会社が非常に厳しい状況にある。これから状況を良くしていこうとした時には、やはり知らず知らずのうちに男性中心になってしまった社会を変えていかなければ、うまくいかないということをいろいろな会社が思うようになってきている。

●性別に関係なくイキイキとみんなが働くには、3つの柱がありました。
そういった会社の方からの話を聞いていると、このことを進める時にはおそらく3つくらいの柱があるんだなと感じました。

●一つ目の柱は、経営者の覚悟です。
一つ目には会社のトップが男女共同ということを本気で考えること。これまでは男女共同なんてことは会社のトップは経営に関係ないものとしていた。多くの経営者は人事や若い労働組合の人にまかせていた。しかし、ずいぶん風向きが変わってきて、多くの経営者の方が男女共同を進めなければならないと言うようになってきた。これはたぶんこういうことじゃないかと思う。今、会社の経営が非常に厳しくて、これまでのやり方から変えていかなければならない。日本経団連会長トヨタの奥田さんが「変わらないことは悪なんだ、変わらないこと自体が罪だ。今のままでいいと思った瞬間に会社の発展は終わる」とおっしゃっていました。特に「今の男性中心の社会を変えていかなければならない、うちは変える」と強く言われていた。何故そんなに男女共同を強く言われるのかと聞かれると「それは、うちの会社の経営理念だから」と応えられていました。
今日お集まりの皆さんの会社にも、どこかに経営理念や会社の方針みたいなのが書いてあると思います。それを見ると多くの会社では、「うちの会社は個人を大切にする会社だとか、お客様中心だとか、能力主義だ」といったことが書いてある。それを本当に実現していく。つまり、個人やお客様(男性も女性もいる)を大切にする、本当の能力主義を実行するという時に男性中心ではおかしいということ。

●会社の理念と男女共同参画
今なぜ経営者が改めて理念のことを言い出すのか、私はこう思います。今こういう社会環境では、経営者も先がどうなるか分からない。船で言えば、真っ暗闇のなか出航しようとする時にはやはり乗組員は船長を見ている。船長はどういう風に、どこにこの船を連れて行こうとしているのか。船長はその視線を背中に強く感じている。そうすると、経営トップが、社員に元気を出してもらうためには、何か方針を示さなければならない。そういう時にもっと上の会社にするとか、利益を伸ばすぞということは現実的には難しいし、言えません。不透明な社会の中で何を社員に求めるか、どう変わってもらおうかと考えた場合には、もう一度原点に戻ろう。うちの会社は何のために社会に存在しているのだろう。やはりお客様に喜んでいただくために、一人ひとりに活躍してもらうために理念に戻ろうということになる。そうするとやっぱり男性中心になっているということに気づく。もう一度理念に戻ろうとすると、「やはり男女共同をやっていかなければならないです」と皆さんおっしゃる。男女共同を会社の理念ということでなく、もっと会社が伸びるための、一つの道具として使う(言い方はどうかと思うが)。男性も女性も関係無くやっていかないと会社がダメになる。今、危機感を持っている経営者は本当にこのことを強く思ってらっしゃるとつくづく感じました。

●経営者トップの考え方が変わってきている。
 こういう話もありました。リコーというコピー機などをつくっている会社ですが、その浜田会長さんは推進協議会の会長もやられていたのですが、こんなことを言っていました。「女性は結婚したら会社を辞めて家庭に入るべき、子供ができたら会社をやめるべきだと浜田個人としては思っている。しかし、経営者としてはそんなことは言えないし、言わない」。個人としてはやはり男性と女性はどうあるべきか、結婚したら、出産したらどうあるべきかという思いはあると思うんです。しかし、経営者として、リコーという会社のトップとして、やはり個人の思いと経営者としての考えは違うと言われていた。浜田さんはまた、これからは中国だと盛んに言われていた。大方の人は、中国は人件費が安くて製品も安く出来るとしか考えていないかもしれないが、それだけではない。どうして中国の女性はこんなに活き活きと仕事が出来るのか、中国のほうが日本より男も女も関係無く、いろいろなチャンスが与えられているかもしれない。4、5年先は今よりもっと競争が激しくなり、それを考えたら今からやらなければ間に合わない。リコーは今、そこそこ儲かっている会社ですし、儲かっているから言えるのかも知れないが、しかし、確実に経営者トップの方達の考えは変わってきている。

●経営者トップが愚直に言い続けることが必要だ。
 化粧品の資生堂という会社の福原名誉会長は、「うちはお客様が女性であるから、もっと女性社員が活躍しなければならない。そういう資生堂ですら、男女共同を進めるためには3〜5年はかかると、そして3〜5年やっていくと確実に成果があらわれる」と言われていた。逆に今やらなければ、これから先、統計によれば2010年頃から労働人口が減っていくそうですが、その時にさあやるぞと言っても手遅れになる。福原さんはまた、こうも言われます。「これにはやっぱり時間がかかる。経営者がやるといっても「何で今男女共同なのか、やらなければならないのか」と言われる。それにはやはり経営者トップが愚直に言い続けることが必要だ」。例えば町であれば町長がこういうものをやっていくんだ、やっていくんだと言い続ける。チャンスがある度にこういうものをやっていくんだということをトップが言うことで、やっぱりやらなければならない、変われるんだという意識が出来てくる。ちょっと持久戦にはなるが、会社が変わるためにはもう男性女性なんて言っていられない。先ず経営者トップが変わること。そして、周りの雰囲気を盛り上げていくことが不可欠です。

●二つ目の柱は、会社全体での洗い出しです。
会社全体の一丸のプロジェクトとして取り組んでいかなければならない。取り組んでいる会社を見ると必ずプロジェクトチームを作っています。松下電器では「女性輝き本部」、日本IBMでは「ウーマンズカウンシェル」、日産自動車では「ファンクションチーム」といった組織がある。そこで何をやっているかと言うと、いろいろな人が集まって一度会社の中の問題点を洗い出すということをしています。
●会社のプロジェクトチームでは「ガラスの天井探し」をしている。

ポジティブアクションという言葉はイギリスやアメリカで生まれた言葉ですが、ではポジティブアクションで何を変えようとしたかと言うと、そこでは「ガラスの天井」という言葉が出てきます。日本でも1986年に男女雇用機会均等法などができ、先進国では大体そういう法律が出来ました。そういう意味では機会の平等ということでは10年前から見てもずいぶん変わってきたと思います。しかし実際には、スタートは男女平等でも男性は上に伸び続け、女性はある一定のところで止まってしまう。女性が途中で怠けたとかそういうことがなくても、そこには透明で見逃しがちなのだけれどもしかし、確実に厚い天井がある。プロジェクトチームではそういう「ガラスの天井探し」をしている。
女性を働きづらくしているものが会社のどこにあるか、見過ごされているものや既にあきらめているものなどを探している。そこにはいろいろな職場の人、立場の人、男性も女性も集まって、問題点を一度話し合ってみる場を作っている。多くの疑問や批判もいただきます。

●「男女共同参画」への疑問に率直に答えなければなりません。
一番大きな疑問は「男女共同参画を会社でやって何の利益があるんだ。会社は儲かれば良いのであって、利益に関係の無いことをやって何になるんだ。」こう言われます。今では、ISO14000や9000など環境問題を考える会社がずいぶん増えました。少し前までは、「会社の利益と環境と何の関係があるんだ、地球にやさしい会社の前に社員や株主にやさしい会社であるべきじゃないのか」そんな議論がされていたことを思います。しかし、実際に取り組んでみると、「こんな所にこんな無駄があったのか」とか、見えていなかった問題が見えてくると、だんだん会社も効率的になってきて、中長期的には会社も儲かることになる。
男女共同参画に取り組んでいない会社では、やはり優秀な女性が働きづらい環境になっている場合が多い。女性が働きづらい職場では男性も働きづらい。「ガラスの天井」もそうですし、もしかしたら「ガラスの壁」もあるかもしれない。そういう問題を取り除いていくことで、もっと一人ひとりが働きやすい職場になっていくと思います。だから、一度皆が集まって問題の洗い出しをするんですよ。そうするとだんだん変わってくる。
もう一つこんなことも言われます。「そもそも男と女は違うのだから男女共同なんて無理なんだ」と大学の男子学生や女生徒にも言われます。そうすると私はこう言います。男女共同は男性も女性も全て一緒でなければならないということではない。今まで何気なく男性中心になってきた社会を少し変えた方がいいんじゃないか。つまりは、男性も女性も一人ひとりが違い、それを全て一緒にすることは出来ないし、そういう考えを持たないと伸びていかないのではないか。

●個性は性を超えて
今日の講演タイトル「個性は性を超えて」は、昭和63年に当時啓発のためのキャッチフレーズとして労働省の若い職員が考えたものです。男女共同は男性も女性も全て一緒でにするということではない。性別ではなくて、個を描くことが重要なんだと。これからはもっと個を尊重する社会にならなければ、女性だけではなく、男性も本当に幸せにはなれないということです。「個性は性を超えて」というキャッチフレーズで当時は宇宙飛行士の向井千秋さんがポスターになっていましたけども、ただ昭和63年にはちょっと早すぎたコピーで、全く流行らなかった。ポジティブアクションという英語がなんとなく分かりづらい、それに代わる何かいい言葉はないのか。協議会でも議論しました。もし、ポジティブアクションに変わる良い言葉がなかったとしても、何を変えたいかと言えば、それは「個性は性を超える」ということをもう一度社会全体で見直して、本当に何か行動しなければダメなんじゃないかと思います。男性と女性は違うから一緒になるということはおかしい。一緒にしようなんて思わないし、それは無理。男性も女性も一人ひとりが違うということをそろそろ本気で皆が考えていかなければならないんじゃないか、一人ひとりを活かす方が個人にもそうだし、会社にとってもプラスになる。
知らず知らずに男性中心になった会社が、やはり90年代、21世紀と厳しい状況になっているということからも会社がこれから伸び、成長していくためにも必要なんだ。だから、一緒に考える場を一度作っていくことが必要です。会社でもそうだし、町でもそう。やはり、どこかに無理だとかあきらめが、特に女性にはあるんじゃないかと思います。急には変わりませんよ。でもやっぱりおかしいのではということを少しずつでも声に出してみる。その中から少しずつ出来ることが出てくる。皆でどこに「ガラスの天井」があるのか、「ガラスの窓」があるのかを考えてみる。それは会社かもしれないし私達の日常の中かもしれないが、それをみんなの行動にしていくことが2つ目の柱です。
 経営トップが本気でやる。愚直に言いつづける。もう一つは皆で問題を洗い出す。

●3つ目の柱は「分かりやすい目標を作る」ことです。
3つ目の柱は「分かりやすい目標を作る」ことです。「男女共同を進めよう」と言っても絶対実現しません。やっぱりその会社らしい具体的で分かりやすい目標を作らなければ物事は動いていかないんです。今、日産自動車のカルロス・ゴーンさんが注目されています。彼は「2年以内で日産の赤字をゼロにする。つまりマイナスをゼロかさらにプラスにする。ダメだったら自分は辞める」という明確で具体的な目標を掲げたわけです。もしこれを「日産自動車を再建する」と言ったら「またか、口だけか」となったわけですが、明確で具体的な目標にすることで社員にもやれるんだという気を起こさせる。この目標は会社によって違うと思います。例えば管理職を男女半々にしようとか、女性の退職が多いから女性が辞めないような会社にしようとか、女性の採用が少ないからもっと女性を採用しようとか、何が問題になっているかを皆で洗い出して、どんなことなら出来るのか、それを経営トップが具体的にいつまでにやるということをはっきり言う。そうすれば会社全体が本気になってきます。

●先の読めない不透明な時代
最初に言ったようにやはり今は先の読めない不透明な時代です。なかなかこうすればいいとか、自信を持って言うことに勇気がいる時代だと思います。だからこそ今、具体的で分かりやすい目標を会社や町が作れるかどうかということが非常に重要になっているのだと思います。絶対に手の届かないようなところに目標を置くのではなくて、ここからなら出来るんじゃないかというその会社なり市町村らしい方策を見つけて、具体的な目標を掲げてやろうと言えるかどうかですよ。ポジティブアクションはやらなくても法律で罰せられるわけでもないし、誰かが困るわけでもないです。しかし、それをやることで一番大きいのは雰囲気が変わることです。セクシュアルハラスメントがある職場はだいたい雰囲気が悪い、暗い。職場の雰囲気が良くなると、そこから良いアイディアが生まれたり、一人ひとりが活かされることにもつながっていくんだろうと思います。

●でも、柱だけでは家は立ちません。大事なことがありました。
 では、この3つの柱をすれば必ずうまくいくのかというと、必ずしもそうではないかもしれない。その話しを少ししたいと思います。柱は確かに大事だけれども柱だけでは家が建たないように他にもとっても大事なことがあるという話をしたいと思います。これまで色々な経営者の方に話を聞いてきましたが、なぜ男女共同参画を進めるのかという問いに、決して数は少なくはない社長さんが、「だって、これからは女性の感性を生かす時代だから」と答えられた。最初は私も疑問に思わなかったが、その話を今度は実際に仕事に活躍されている女性にすると、がっかりした表情をする。なぜ「女性の感性を活かす」という社長の言葉が、女性達の心にヒットしていないのか。私も色々聞いてみてはじめて分かったのですが、「女性は感性、男性は理性」という決めつけが、知らず知らずのうちにあって、そういう表現がいろんなところにあるということでした。

●「女性は感性、男性は理性」という決めつけ
女性が何か一つ良い仕事をしたとしましょう。例えば先ほど伺った話では、2年ほど前に役場でドメスティックバイオレンス(DV)に関するパンフレットを作ったそうです。最初はパンフレットを役場の入口に置いていたが誰も持っていく人はいない。どうしてか。もしかしたらDVに悩んでいる人がいなかったのかも知れないが、やはり皆が見ている前でDVのパンフレットなんてもらっていけないですよ。ある時女性職員が女子トイレにそのパンフレットを置いたところ、いままで誰も持って行かなかったパンフレットがどんどん減っていったということです。これを女性の感性だという人もいるかもしれないが、実はこれがその人個人の感性であり、個性であり、能力なんですよ。「男性は理性、女性は感性」なんて考え方をしていると、やはりどこかで知らず知らずのうちに男女平等ではなくて、決めつけたことをしてしまう。
さっき私が所属している「女性の活躍推進協議会」のことを言いましたが、実は前はこんな名前ではなかった。以前は「女性の活用推進協議会」という名前でした。それまで誰も変だとは気づかなかったことだが、あるとき資生堂の福原さんが「いろいろ議論しているけど、まずこの協議会の名前自体が良くないのではないか」と言い出した。男性であれ女性であれ、何かの道具のように「人を活用する」と言われてうれしい人がいるだろうか。そんなことでいろいろな話をして今の名前に変わりました。もしかしたら、男女共同はそんなところから始まるのではないか。

●ある仲の良いご夫婦の会話 「妻は、この30年の結婚生活はなんだったんだろう」と
 生命保険会社の支社長をずっと勤められていた方ですが、その方のエッセイにこういうのがありました。ある仲の良いご夫婦がおられました。30年も連れ添ったご夫婦で、お子さんはいらっしゃらなかった。夫は非常にまじめなサラリーマンで、だいたいいつも同じ時間に家を出て、同じ時間に帰ってくる。妻は典型的な専業主婦で、毎日夫より少し早く起きて、朝ごはんを作り、夫が帰って来る時間を見計らって夕飯を作る。そんな仲の良い、今じゃなかなか見られなくなった、サザエさんのフネさんのような、仲の良い夫婦がいました。ある日、妻が風邪で熱を出し、いつも起きる時間になっても、体が重く起きられない。少しして夫が起きて事の変化に気づく。額に手を当てると熱がある。起きられない。妻「ごめんなさい、朝ごはんできてないの」。夫「いいんだ、いいんだ一食くらいご飯を食べなくたって別に大丈夫」。妻「もしかしたら、夕飯の準備もできないかもしれない」。夫はさらにやさしく「気にしなくていいんだ、夕飯だってちゃんと外で食べてくるから大丈夫だよ」と言った。そのとき初めて妻は、この30年の結婚生活はなんだったんだろうと思ったそうです。
この話を聞いて女性の方は笑っている。男性の方も笑っている方はいるが、しかし、わかっている人は少ない。なぜ、「30年の結婚生活はなんだったんだろう」と妻は思ったのか。私がいた学習院大学の生徒にも聞いたことがあります。その生徒は「僕は結婚していないから良くわからないけど、多分こうじゃないかと思う。専業主婦という仕事にプライドを持っていた妻が、たとえ一日でもごはんを作れなかった自分を責めたのではないか」「旦那さんはとてもいい人だから、例え一日でもごはんを作れなかった自分が、こんないい人と一緒にいてはいけないと思ったんじゃないか」と答えました。実は答えは簡単で「奥さんの朝ごはんはどうするの」ということです。
実は男女共同とはそんなところにあるんじゃないかと思う。別に夫は妻を軽視したわけでもなんでもないし、男尊女卑でもない。どこかに何気なくそんなことを言ってしまう風土があります。思ってもいないことで、知らず知らずのうちに相手をがっかりさせたり、ショックを与えてしまっている。男女共同というのはそんなに小難しいことではなくて、むしろ一人ひとりができることって、たくさんあるんじゃないかと思うようになりました。

●行政や会社だけでなく、一人ひとりにやるべきことがあります。
 企業が女性の活躍をすすめていくには3つの柱があることを話しましたが、残りの30分で、やっぱり一人ひとりができることってたくさんあるんじゃないかということを話したいと思います。

●「私は運が良かった」
会社で本当にキラキラ輝いている女性っていうのは、お話を伺うと、なんだかこっちまで元気をもらえる。本当に男女共同のすばらしさを実感するわけですけども、そういう方達に「今のご自身があるのは何が大きかったですか」と聞くと、ほぼ100パーセントの方達が、「自分は運が良かった」とおっしゃる。「全部自分の実力です」なんていう人は一人もいない。運が良かったとはどういうことかと言うと、もちろん家庭で旦那さんの理解に恵まれたということもそうですし、いい仕事に出会えたということもあるのでしょうが、やはり、自分の直属の上司に恵まれたと言う方が非常に多いです。

●大切なのは良い励まし
 ある南の県の話です。「うちでは男尊女卑の文化が今も残っていて、男女共同は無理だ」。「会社の取引先に女性社員をやると、なぜ女性をよこすんだ」と言われるとおっしゃっていました。本当にできる上司なら、この女性が取引先に行こうとするときには、最初の1、2回は一緒について行って、「この女性が御社の担当になったのは、女性だからということではなくて、この人が一番この仕事に向いていて、力を発揮でき、また御社にもきっと喜んでもらえると当社も自身を持ってこちらに向けたのです。だからやらせてみてください。もし、やらせてみてダメだったら私も、会社としてもサポートしますし、責任を取ります」。きっと良い上司ならこう言うでしょうと心の中では思いましたけども、こう言われたら、その女性はきっと仕事はきっちりやりますよ。女性にがんばれ、がんばれと言ってもダメで、大切なのは良い励ましがあること。

●「がんばれ」という言葉だけで励まされる人は少ない。
 さっき言葉の話をしましたけども、実は非常に大切なことなんじゃないかと思います。私も学生などを励ます機会がありますが、よく考えてみると日本語では「がんばれ」という言葉が圧倒的に多いですよね。サッカーの中田選手がインタビュアーとうまくいかなくて、自分のホームページにいろいろ書いているということを聞きました。なぜインタビュアーとうまくいかなくなったのか、私が聞いた話では、日本のインタビュアーはすぐ「がんばってください」という、それが気に入らないというのです。何故かというと、この人たちは自分が今なにを目標としていて、何を努力していて、何を今一番苦しんでいるか分からずに、ただ「がんばってください」といっている。それはプロフェッショナルではないということなんですね。その話を村上龍さんから伺ったのですが、今、「がんばれ」という言葉だけで励まされる人は少ない。「がんばれ」という言葉自体は悪いものではなく、こういう時には「がんばれ」という言葉で勇気付けられる。それは、今その人が置かれている状態を続けることが、その人の最大唯一の目標であるときには、「がんばれ」という助言は非常に有効です。例えば、雪山で雪崩か何かで遭難して、命綱にずっとしがみついてレスキュー隊を待っているような状態の時、命綱を持っているということが最大唯一の目標であるような時には「がんばれ」ということを言うしかない。
シドニー五輪で金メダルを取ったマラソンの高橋尚子選手が、独走しているときに、沿道から「がんばれ」という声援を受ける。やはり、その状態を続けることが、最大唯一の目標である時には、「がんばれ」ということが一番の励ましになる。しかし、自分が今何に向かってファイトしていいか見つからない、何に向かっているのか、自分がどんな状況に置かれているかが分からない人に「がんばれ」と言うことは、逆にその人を不安にさせたり、緊張させたりします。
実は、シドニー五輪で優勝候補とされていたのはケニアのロルーペ選手でした。その対抗がルーマニアのシモン選手。高橋選手はせいぜい3番手と予想されていました。結局スタートしてから一度もロルーペ選手は先頭集団を走ることはなかったのですが、ずっと先頭集団にいた高橋選手は、いつロルーペ選手が来るか、ずっと気になっていて、不安だったのです。しかし、22キロ付近から何かが吹っ切れたかのように高橋選手がスピードを上げていく。いったい何があったのか。実は、ひげの酔っ払いのコーチ、小出監督が、一言だけ高橋選手にアドバイスしてたんですね。「がんばれ」なんてことは一言も言っていません。小出監督は「ロルーペ来ない、ロルーペ来ない」とただそれだけを言っていたそうです。あの場面で「ロルーペ来ない」という言葉ほど高橋選手を勇気付ける言葉はないでしょう。

●「がんばれ」という文化から卒業しなければいけない。
私が外国にいた頃に「日本では人を励ます時にがんばれということを言うのだけれど、それに変わるような言葉が英語にあるのか」と友人に聞いたことがあります。その友人は考えて、たぶん「パーシビア」(persevere)という言葉がそれだろうと教えてくれました。しかし、その言葉を使う人を見たことがないとも言います。じゃあ、お前の国では人を励まさないのかと聞くと、そんなことはなくて、上司が部下を励ますとか、親が子供を励ますとか、先生が生徒を励ますとか、いろんな場面があると思います。やはりいろんな状況があって、それぞれの場面にあった励まし方が大切だと思います。
例えば、「グッドラック」(Good luck)といって励ましてみたり、何か不安を持っているような場合には、「ビリーブユアセルフ(自分を信じてみろ)」(Believe yourself)と言ってみたり、とにかく行けという時には「ゴウフォーイット」(Go for it)など、やはり場面場面を見て、その人に一番必要な言葉を自分のいくつもある引き出しの中から探して言って上げられるのが、親であり、ボスであり、リーダーの役目なんだと思う。英語が良くて、日本語がダメということではないのですが、やはり我々も、何でも「がんばれ」という文化から少しずつ卒業していかなければならないと思うようになりました。
 最近テレビなんかでも「うつ病」のことが多く取り上げられ、議論されるようになりましたけども、うつ病の人には「がんばれ」と言わないでくださいとカウンセリングの先生はおっしゃる。うつ病の方は思いつめることが多くて、がんばリ過ぎてしまうから、その人にまた、「がんばって」ということは、ますます追い詰めてしまうということです。私達は人を励ます言葉というものをもっときちんと考えていかなければならないとつくづく思うようになりました。

●「がんばれ」「忙しい」「普通は」という言葉を言わないようにしている。
私も学生などに話す時に、自分の中で決めていることがあって、3つのことを言わないようにしています。一つは「がんばれ」、一つは「忙しい」、もうひとつは「普通は」を言わないようにしている。それをしないことで、一つだけ明確に変わったことがあって、それは、「忙しい」ということを言わないようにしたことで、私自身の肩こりが治った。うそだと思われるかもしれませんが、是非試してみてください。そんなことが、以外に大きいんじゃないかと感じています。男女共同といった時にも、女性に「とにかく、がんばれ」と言ってもダメで、やはり励ます言葉を上司なり家庭なりが持っていないと、なかなか急には変われないというのが一つです。
 2つめは、今度は励まされる側から見たときに、例えば「がんばれ、なんて言われてもたまらないよ」という時がある。やりたいことが何なのか、分かっている人がいったいどれくらいいるのか。やりたいことが分かっている人はトライすることも可能でしょうが、今は、やりたいことを見つけたり、特に仕事の中でこうしたいというようなことを考えるのが、しんどくなってきているのではないかと思う。
私が小さい時は、まだ王選手がバリバリの現役で、2年連続3冠王をとったり、ホームランの世界記録を塗り替えたりしていた頃は、情報も少なくて、私もテレビを見て自分も野球選手になりたいだとか、夢を抱けた。しかし、今の子供達は、例えばハイビジョンなんかでイチロー選手の姿をくっきり、はっきり見えたりすると「自分はイチローにはなれない」と思ってしまうのではないか。昔は情報がない分だけいろいろな事を思ったり、考えたりすることが楽だったと思うんです。今、大人たちは「夢を持ちなさい」なんて簡単に言うけれど、実は今の子供達にとっては大変なことで、やはり「しんどいなあ」と思うのではないか。じゃどうすれば、やりたいことが見つかるのか、明確な答えがあるわけではないけれど、いろいろな分析をしているうちにこんなことが、浮かび上がってきます。
 転職してやりたいことをするという人と、転職したけど結局うまくいかなかったという人、そんな分析をしている内に一つ面白いことがわかりました。例えば転職するときに誰に相談したか。自分自身で決めた人、家族に相談した人、前の会社の上司に相談した人などいるが、だいたいそういう人はうまくいかない。逆に会社以外の友人などに相談した場合には以外にうまくいくケースが多いことが分かった。

●情報の「情」はなさけ
なぜか。転職するときにはいろいろな情報が必要になります。「情報」という言葉は明治時代に森鴎外が和訳した言葉だそうですけども、非常に面白い字です。「報」はどちらかというと「報告書」「官報」だとか冷たい感じを受ける。逆に「情」はなさけですよ。転職するときに必要な情報とは、例えば給料がいくらになるか、休みはどれくらいといったことで、それは「報」です。もちろん大切なことですが、それよりもその会社を愛せそうかとか、活き活きと仕事ができるかとか、会社の雰囲気はどうかとか、大事なことはたくさんあって、それは「情」になります。この言葉や数字にならない「情」を得るためには、前の会社と違う、つまり自分と違う日常に生きている人と話すのが以外にいいと言われています。自分と違う日常に生きる人に自分の鏡を見つけて、「こう工夫すれば自分でもできるんじゃないか」「この人はこうやっているけれど、これは自分では無理だ」といった、言葉にしづらい「情報」を得ることができる。

●ウイークタイズとストロングタイズ
 1950年代アメリカ最大の社会問題であった人種格差がなぜ起きたのか、それには大きく2つの説があった。貧しい環境に育った黒人は良い教育も受けられず、犯罪などにも手を染めやすい環境にある。だから自分自身を高めていくことができないという環境説と、もう一つは能力説といわれるもので、例えばオリンピックの100m決勝。並んでいるのは圧倒的に黒人が多い。少なからず誰しも、やはり運動能力、特に瞬発力に関しては黒人が優れていると感じる。逆に言えば企画的な仕事や営業職などネクタイを締めるような仕事は白人の方が優れている。だから白人の方が恵まれることが多いという能力説と言われる2つの説があった。しかし、それらに対して第3の説として、グラノヴェターさんが言う「ウイークタイズ(Weak Ties)=弱いつながり」があります。
 ニューヨークやロサンゼルスなど大きな町に旅行者が行って、スラム街などを見ると少し恐い印象を受ける。しかし、そこに住んでいる人たちにとってはこれほど安心な社会は無い。何故安心なのかというと、そこは確かに貧しいけれど、自分と同じ境遇を持ち、同じ価値観を持ち、同じ物を食べ、同じ生活をし、同じ音楽を愛し、同じスポーツをしている人達がそこにはたくさんいて、非常に強い連帯感をもって生きている。「ストロングタイズ(strong Ties)=強いつながり」がそこにあります。しかし、いざ自分が何をしたいか、何が出来るかということを見つけようとした時に、自分と同じような状態、同じような情報しかない社会に生きていては、本当に自分がやりたいことは見つけられない。これを変えようと思ったら、黒人がスラム街から一歩でも二歩でも出て行って、自分とは違う日常に生きる人達と交わる機会を持たなくてはいけません。自分と違う人達と薄くても広いつながりを持つことで、あたらしい考え方や情報が得られる。これと同じで、今若い人達が自分がやりたいことを見つけることができない。そうするとやはり、自分とは違う日常に生きる人達と交われる何かの機会を持つようにしなければならない。

●自分とは違う日常に生きる人達と会うこと。「異物」を入れてみよう。
今、若い人達が携帯電話の親指運動(メール)を一生懸命やっている。それでもせいぜい週に3〜5人くらいでしょう。インターネットにしても、世界とつながっているといっても実際にコミュニケーションしているのは、本当に限られた人達でしかない。これも、何も言わなくても自分のことを分かってくれるストロングタイズな人間関係です。しかし、本当に自分の可能性を見つめ直そうと思ったときには、たまにしか会えないけれど、本当に信頼できるつながりを持つこと。そこで自分とは違う日常に生きる人達と会うことによって、自分の可能性をはじめて発見できる。また、ある人はこんなことを言っています。「自分の可能性を見つめ直そうと思ったときには、自分の中に一度自分とは異なったもの「異物」を入れてみる必要がある」。自分の好きなもの、自分と相性がいいものばかり受け入れていたら、自分とは何なのか分からなくなってしまう。自分と異なるものを受け入れることで、そこで何らかのケミストリー、つまり化学反応が起こる。そこで、自分が本当にやりたいことはこれだったのかも知れない、自分にもこういう可能性があるんじゃないか、ということに初めて気づくことが出来る。

●薄くても広いつながりを持つ 新しい自分を発見できるチャンス
 これからは励ますことも大切だが、励まされる方も自分の日常に満足するのではなくて、幅広い日常、自分と薄くても広くつながった日常を持つことが必ず求められてきます。
今までの日本の社会というのは、どちらかというとストロングタイズな社会でした。今それだけでは、この不透明な時代に生きていけない。薄くても広いつながりを持つには、家庭や会社とは違う、例えばNPOみたいなものに挑戦するのもいいかも知れないし、いろいろなコミュニティ活動かも知れないし、いろいろなやり方があるでしょう。これから生きていく上で、薄くても広いつながりを持つ、そのネットワークを持つことが絶対に必要になる。
ウィークタイズの話は、一見には男女共同の話とは違うかもしれないが、男性も女性も違うし、若者と中高年も違う、職場も違えば、価値観も違う、でもその違いを認め、違いがあることが良いことなんだと思って、薄く広いネットワークを作っていくことで、みんなが新しい自分を発見できるチャンスが生まれてくる。

●そして何より大切なのは、自分が変わるということ
 男女共同は男性と女性が全て一緒ということではないと言いました。個性は性を超えるということを言いました。どうやって個性は性を超えることができるのかと言えば、やはり、何気ないコミュニケーション、何気ない言葉使い、何気ない行動を見直して、皆が今までの日常を変えていくことですよ。薄くても広い人間関係を社会全体で作っていくことによって、本当の意味での共同社会が出来ていくものと思います。もちろん行政がやるべきこともあるでしょうし、会社の経営トップがやることもある。しかし、皆さん一人ひとりが、何気ない日常を少しずつ変えていくことで、やはり少しずつ変わっていくんだろうと思います。男女共同参画の背景にあるものは、やはり個性は性を超えるということ。一人ひとりが変わることで、社会も変わるし、会社も変わるし、そして何より大切なのは、自分が変わるということだと思います。





○質疑応答

参加者@: お話の中に「ガラスの天井」ということを言われていましたけども、その中に一つ出産というものがあると思います。法律でも産前6週、産後8週と労働基準法で決まっていますけども、それがあるがゆえになかなか女性が伸びていけないというようなこともあるかと思います。やはり、これからは出産など家庭が大変な時には、男性も一緒に協力してやっていかなければならないと思いますし、先生には今後も是非アクティブに活動していただいて、男性の産休制度ということについても法改正されることを望んでいます。

玄田先生:全く同感です。今のお話について思うところが2つほどありまして、男性の中には、女性には出産というものがあって、出産じゃなくても子供が病気になったりすれば休むし、やっぱり仕事ができないと思っている人はたくさんいると思いますが、それは明らかにうそだということがよく分かったことがあった。伊勢丹の靴売場の課長さんが言っていました。「女性はやはり子供が出来ると不利だ。子供が熱を出したりすれば休まなくてはならないし、子供は知らず知らず父親ではなく、母親を求めるものだから、それはしょうがない。休むのはしょうがない、だからその分日頃から一生懸命仕事をしなさい。そのかわり休むときは胸を張って休め」自分の部下に対してこう言われるそうです。不本意に休まなければならないかも知れないと思っている女性ほど日頃から緊張感を持っていて、実は男性の方がダラーッと仕事をしている場合が多いのではないかと思う。女性は休むかもしれないから仕事ができないというのは、全くの幻想だとつくづく感じました。
 もう一つは、男性が休む時は、会社は無理やりにでも休ませて欲しい。それはなぜかと言うと「産後うつ病」というものがあって、出産した女性の約17%がこの病気になると言われていますが、これは育児ストレスや育児ノイローゼとは違います。育児ストレスは出産後に育児があれこれ大変で、自分では何にもできない、出来ていないと思い込むが、よく見るとちゃんとある日突然出来ている。それに対し産後うつ病になると、自分ができていないという自覚がない。だからとても危険なんですよ。一年くらいちゃんと治療すれば治る病気ですが、治療も大切ですが、やはり家族、周りのサポートが必要です。周りはそこに居ることが大切で、特に退院後の一週間から1ヶ月はいろんな意味で不安定ですから、そばに男性が居る方がいいんです。もし全てを女性に任せてしまったとしたら、病気が長引くかもしれないし、子供も危険かもしれない。そんな状態でまともに働けますか。そんな男性がいたらスーパーマンかどっちかだ。だとしたら、会社は無理やりにでもその男性を休ませるべきだ。1年とは言わないけれど1ヶ月でも1週間でも休みを与えることが、会社にとっても優秀な人材を失わずにすむことにもなるし、結局は会社のためになる。と、企業の人事の方に会うたびに私は言っています。私も協議会のメンバーでもありますし、男性の産休について、チャンスがあればいろんなところで言っていきたいと思います。非常に参考になりました。ありがとうございました。

参加者A:先生は厚生労働省女性の活躍推進協議会のメンバーでいらっしゃいますが、女性のパートタイマーの賃金格差について、男女共同参画の視点から、厚生労働省では今後どのように(格差解消などの)推進を考えているのか。

玄田先生:今は辞めましたけど、昔「厚生労働省パート雇用機会均等研究会」というのに入っていまして、一応その研究会の報告書としては、正社員であれ、パートであれ、実質的に同じ仕事をしているのであれば、同じ賃金決定の制度を導入すべきだということを報告書として出しています。そして今、男女雇用機会均等審議会でもそのように答申しようとしていますが、経営者団体から、それは経営者の裁量によるべきで、そういうことをルール化しようとすることはいかがなものかと言われていて、ちょっともめています。実質的に同じ仕事をしているかどうか、その基準をどこに置くかという問題も残っていますが、厚生労働省では、明らかに日常業務が同じであれば同じ賃金決定体制にすべきだということで、強く導入するよう求めている。非常に国民議論を盛り上げています。結局は世論の勝負ですから、経営者団体はそれは反対しますよ。
     ただ、今これだけ多くのパートで働いている方たちがいて、パートさんでも非常にいい仕事をしている人がいるということになれば、正社員とパートの区分をそろそろ無くしていく方がいいんじゃないか。白老町では皆正社員にしてはどうか、パートでも臨時でもNPOで働いていてもみんな正社員にすればいいんじゃないかと、さっきも言ったんですけども、これは世論です。世論というと無責任と聞かれるかもしれないが、やはり正社員だとかパートの区分を無くしていく方がいいんじゃないかと、口に出して言うこうとが重要だと思います。私も微力ながら努力していきたいと思います。やはり社会全体のムードを盛り上げることが大事ですし、労働組合もまだまだパートに関しては積極的ではないですから、やはり、一人ひとりが声を出していかなければ、社会も変わっていかないと思いますので、是非一緒に努力をしていきましょう。


○総評(玄田先生)
 いろいろなテーマがあって、このグループの中でまとめることも難しかったろうと思います。お話を聞かせていただいて本当に勉強になりました。特に「制度」ということに関しては産休、育児休業、年金制度、ご質問のあったパートの賃金格差の問題もそうですし、改めて、私自身どこまで、何ができるか分かりませんけども、機会があるたびに考え、そして言葉にしていきたいと思いました。
 もう一つ、「意識」の問題について、少しだけ個人的な話をさせていただきます。もしかしたら自分の考えは間違っているかもしれない、自分が分かってなくてどこかで決めつけているかも知れない、ということを心のどこかに常に置いておくことが必要ではないかと思う。その方が本当のコミュニケーションができるのではないかと思う。私も今年で39歳になります。知らず知らずに色々な価値観も持つようになります。もっと歳をとれば、自分の人生を振り返りながら、やはり自分の人生は否定されたくありませんから、妻の役割とか、子供のあり方とか、女性はこうあるべきだ、というようないろいろな感じ方をすると思います。でもそれは、もちろん自分の人生は否定するわけではないのだけれど、それはあくまでも自分の個人的な価値観であって、もしかしたら、今、目の前にいる女性や部下達とは違う生き方かもしれないということを認めていかないといけない。自分の考えが全てではないという気持ちを持ち続けることが、もしかしたら、多少若さを保つ秘訣にもなるかなと思う気持ちもあって、自分は相手のことを分かりたいと、とっても思っているけど、本当は分かっていないのかも知れないという気持ちを持ち続けたいと思いました。それを老若男女関係なく持つことが、本当に広い意味でのコミュニケーションにつながるのではないかと思います。
 最近すごく思うのは、私自身はこれまで自分が本当は何がしたいのか、どんな仕事をしてきたのかと考えたことはなかったけれども、今度からは少しそういうことを考えていきたいと思っています。最近再就職を希望している方からよく話を伺いますが、これまでどんな生き方や仕事をしてきたのか、うまく言う必要はなくて、むしろ下手な方が良くて、自分なりにささやかでもいいから誇りを持って、自分の言葉で短くてもいいから話すことができる人は再就職が決まっていく。
今まではあまり自分の生き方はどうか、どんな仕事をしてきたかということを聞かれることが無かったのかも知れない。特に女性はそういう機会がほとんどなかったかもしれない。でもこれから生きていくうえで、そういうことを自分なりに心の中で考える習慣をつけることが大事ではないかと思います。例えば子供から「お父さんはどういう仕事をしてきたの」「お母さんはどういう生き方をしてきたの」と聞かれたときに、自分なりの答えが出るようになると、男女とかいろいろなものを超えて、社会が良くなる、一つの大事なところかなと思う。さっき、女性はおしゃべりだという意見がありましたけども、これからは男性も心の中ででもしゃべった方がいいことがたくさんあって、自分の生き方はどうか、どんな仕事をしてきたかということを考えることは、とてもしんどい事かもしれないけれど、しんどいけど、これから自分が自分らしく生きていく、自分が個となるためにも必要ではないかと思います。